日本一の漁港・銚子駅前がシャッター街と化した、統計に映らない真実

銚子大橋 エンタメと文化

年末年始を過ごすため、千葉県の銚子に滞在しました。親戚の家も比較的近くにあるため、昔からこの千葉の北東部に訪れる機会は沢山ありました。

銚子と言えば水揚げ量が日本一で、街や漁港は活気に溢れるという印象があったのですが、私が最後に行ったのは20年ほど前だったと記憶しています。

しかし、東京駅発の高速バス(京成バス千葉イースト)で降り立った銚子駅前は、人影もなく静寂に包まれていました。覚悟はしていたものの、これほど衰退しているとは予想していませんでした。

夕食の時間帯に商店街を歩いても、人とすれ違うことは殆どありませんでした。店のシャッターは閉ざされ、街はまるで映画の撮影セットのような不思議な魅力を放っていました。まるでタイムスリップして、ゴーストタウンに放たれたような感覚。

最盛期の記憶:東の玄関口として輝いた時代

1960年代、銚子は人口10万都市を目前にした、千葉県屈指の商業都市でした。その繁栄を支えたのが、利根川の水運、醤油産業、そして全国屈指の漁業です。

利根川水系の物流は、銚子を「川と海をつなぐ拠点」に押し上げました。そこで発展したのが、ヒゲタ醤油やヤマサ醤油に代表される醤油産業です。全国へ出荷される醤油は安定した雇用と資本を生み、街の基盤となっていました。

さらに銚子漁港には全国から漁師が集まり、水揚げを軸に加工・運送・飲食業までが連なり、昼夜を問わず人の流れがありました。

駅前の風景も、今とはまったく異なります。デパートや映画館が立ち並び、買い物は街の中心で完結していました。夜になれば飲食店から笑い声があふれ、仕事を終えた漁師や商人、家族連れが行き交う——そんな光景が日常だったのです。

1965年の人口は9万人超、それが現在は約5.3万人まで減少しました。わずか60年で、街の規模はほぼ半分になった計算です。人口の減少は、そのまま消費と文化の縮小を意味します。

今は施設が消えたというだけでなく、人が集い、時間を共有する「共同体」そのものが失われたことを示しています。そして、これは一時的な衰退ではなく、長期的な構造変化の姿であることは確実です。

私もよく親戚のおじさんに、十字屋という百貨店に連れていってもらったのを覚えていますが、今は跡形もありません。更には、駅前でも東京にあるチェーン展開の飲食店すらありませんでした。

漁獲量日本一なのに、なぜ貧しいのか

銚子漁港は今も全国トップ級の水揚げ量を誇ります。実際、銚子市や漁協の公表データでも年によっては20万トン超の規模が確認できます。銚子漁協

また、銚子は「13年連続首位」とされてきた一方、2023年は釧路が首位の座を譲った、という報道もされています。東洋経済オンライン

それでも、駅前が閑散としているのはなぜなのでしょうか?

漁獲量は「日本一」、でもその中心はイワシ

近年の銚子は、魚種の構成が大きく偏ります。たとえば銚子市の資料では、令和5年の総水揚げ188,965tのうち、マイワシが147,816tで約8割を占めます。銚子市

量が積み上がりやすい一方で、単価が高い魚が中心だった時代とは“稼ぎ方”が変わりました。さらに、銚子は水揚げ量が全国1位でも、水揚げ金額は上位でも「4位」といった年が示されています(量と儲けは一致しない)。銚子ジオパーク

港で働く「人の数」が減り、お金が街に落ちにくい

もう一つは雇用です。銚子市の資料によれば、漁業就業者数は482人(平成20年)→304人(令和5年)へ減少しています。

船の大型化・自動化、荷さばきの効率化が進むほど、港周辺で働く人数は絞られます。結果として、かつてのように「人が港に集まり、街で飲んで帰る」という循環が弱くなります。

産業の空洞化が重なる:醤油産業も省人化へ

銚子のもう一つの柱だった醤油産業も、製造業としては機械化・自動化が進みやすい領域です。たとえばヤマサ醤油の工場について「一体自動化」「省人化」をうたう建設実績も公開されています。清水建設

漁業も醤油も“強い産業”でありながら、雇用の厚みが薄くなると、若者は東京圏へ流出しやすくなり、中心市街地の商店・飲食の土台(常連客・働き手)が痩せていきます。

衰退の加速:モータリゼーションと「時間の奪い合い」

銚子駅前にチェーン店すら出店しない理由は、景気や一時的な不況ではなく、人々の生活圏や時間の使い方の変化と旧態依然とした制度にあると思います。

移動手段は「電車」から「車」へ

かつて銚子では、駅前が生活の中心でした。しかしモータリゼーションの進展により、市民の移動手段は電車から車へと移行します。

Photo:Wikipedia

買い物の主戦場も駅前商店街ではなく、広大な無料駐車場を備えた郊外型施設へ。銚子市内でも、イオンモール銚子のような施設は、「一度で用事が済む」「天候に左右されない」「家族全員で行ける」という点で、駅前を圧倒します。

固定資産税が安い、「住居」になったシャッター街

駅前のシャッター街は、実は多くが完全な空き店舗ではないそうです。商売を畳んだ高齢者が、そのまま住み続けている住宅なのです。

住宅用地の固定資産税は最大1/6に軽減され、元店舗であっても、居住実態があれば「住宅」扱いになります。逆に、完全に空き家にして用途変更・更地化すると、税負担が一気に跳ね上がる可能性があるということです。

銚子駅から海に続くメイン道路も殆どの店がシャッターを閉めている

老後の住み家を奪うつもりはありませんが、次の世代が新規出店できない制度に問題があると思いました。結果として、シャッター街は一時的な休業ではなく、日常の風景となるのです。

つまり銚子駅前は、需要がないから廃れたのではなく、大手企業が仕掛けた社会構造の変化と膠着した制度により衰退したのだと言えます。

銚子は日本の未来の縮図

銚子で起きていることは決して特殊な事例ではなく、インフラが維持できなくなる「限界集落・都市」が全国的に広がっている証左です。

現在、政府は積極的に外国人の誘致を進めています。銚子の街でも、労働者としての東南アジア風の外国人を目にすることがありました。その人たち向けの外国食材店も何店かありましたが、他の地域で見るよりも外国人の数は少ないと感じました。外国人でも住みにくい街ということでしょうか。

昨年辺りから政府への信頼低下が顕著となりましたが、積み残した問題の根本的な解決は後回しになるのでしょうか。外国人を連れてくれば、すべての問題が解決するわけではありません。人口減少しても持続可能な国の指針・計画が先であり、頭数だけ増やしてもしょうがないと思います。

それでも、潮風は吹き続ける

最後に、悲観だけで終わらせず、私が感じた「それでも消えない街の誇り」で締めます。

今回、旅先として銚子を選んだのも、ある蕎麦屋さんの記憶があったからです。風格のある店構えと美味しい手打ち蕎麦のイメージを思い出し、年越しそばをここで食べたいと思ったんです。

 「島彦本店」は、1856(安政3)年から代々、銚子で蕎麦・うどん店を営んできた老舗。ところが、6代目店主が体調を崩し、2022年に一度閉店をしていたんです。その後、有志が引き継ぎ、2023年に再オープンしたとのこと。

そんな経緯も知らず店名すらうろ覚えでしたが、商店街を歩き、風格のある外観を見て「ここだ!」と確信したんです。それ位、雰囲気のあるお店なんです。

大晦日ということで、メニューは天ぷら蕎麦だけだったと記憶しています(冷・温各3種)。私は1650円の海老天のざる蕎麦をいただきました。

変わらぬ味もさることながら、この歴史あるお店は日本にとっても貴重な存在だと感じました。このような有形資産の維持についても、個人任せではなく、国や自治体が積極的に投資をするべきと感じました。

年明けに銚子大橋を往復しました。橋を渡った茨城県の波崎の街を見て、帰りの橋の上でにわか雨に降られたのですが、後ろを振り返りビックリ。なんと空に虹がかかっていたんです。そして、今年も良い年になるだろう、と確信をして銚子の街に戻りました。

次回は今回行けなかった和食店や海鮮居酒屋などで食事をしたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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