LAドジャースの監督として有名なデイブ・ロバーツ(David Ray Roberts)氏は、しばしば沖縄出身であると紹介されています。ロバーツ氏は学生の頃はどこでどのように過ごしたのでしょうか。そしてお母さんが日本人の可能性がある、と噂されているので調べてみました。
アメリカ海兵隊の父と日本人の母の間に生まれる
ロバーツ氏は1972年5月31日に沖縄県那覇市で、アメリカ海兵隊員であるウェイモン・ロバーツと日本人女性の池原エイコさんの間に生まれました。ウェイモンはアメリカ海兵隊で長いキャリアを積み、最高の下士官階級のマスターガナリー軍曹の職務を務めた人です。
幼少期の間、ロバーツ氏とその家族は沖縄で過ごし、その後カリフォルニア、ノースカロライナ、ハワイの基地に住み、その後カリフォルニア州サンディエゴに定住しました。
中学・高校時代は複数のスポーツで活躍
ロバーツ氏は、中学校の時にバスケットボールと陸上で注目を集めています。カリフォルニアのビスタ市陸上競技大会の100メートル競技で優勝をしています。翌年、サンディエゴ陸上競技選手権では、同じく100メートル走で12.06秒の記録を出して優勝しています。
その後サンディエゴの高校に進学し、フットボール、野球、バスケットボールでスター選手となりました。最終学年の時には、フットボールチームをサンディエゴのクラス3Aチャンピオンに導きました。
アメリカのプロスポーツ選手は、子供のころに複数のスポーツを並行してやるケースが多いですが、ロバーツ氏も多才だったようですね。


野球を選択し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校・UCLAに進学
ロバーツ氏はフットボールで膝に大きな怪我をしており、野球がより有望な選択肢であると考え、大学はUCLAに進学しています。彼は1994年のUCLA野球チームのキャプテンを務め、オール・パック10とNCAA地域選抜オール・トーナメントに2回選出されています。
1994年には大学のシングルシーズン盗塁記録として45を記録、更に三塁打(5位 – 10)、打席数(5位 – 784)、四球(T-6位 – 128)、安打数(9位 – 242)、得点(10位 – 177)の各カテゴリーでトップ10の成績を保持しています。因みに彼の学位は、歴史学だそうです。
1994年にプロ入り、メジャーリーグ6チームでプレイ
ロバーツ氏のメジャーリーグのキャリアは約15年で、以下の6チームでプレイをしています。
- デトロイト・タイガース:1994年にMLBドラフトで28巡目で指名
- クリーブランド・インディアンズ:1998年にトレード
- ロサンゼルス・ドジャース:2002年にトレード
- ボストン・レッドソックス:2004年にトレード
- その後、サンディエゴ・パドレスやサンフランシスコ・ジャイアンツでもプレーし、2009年にプロ引退
ロバーツ氏はドジャース時代の2003年に沖縄に来て、地元との交流や少年野球教室に参加し、「沖縄出身であることを誇りに思う」とコメントしています。
Ohtani's Dodgers press conference is the top news story in Japan today. NHK has shared this video noting that Dodgers manager Dave Roberts was born in Okinawa, where his US Marine father met his Okinawan mother. pic.twitter.com/3TdHHvBk1R
— Jeffrey J. Hall 🇯🇵🇺🇸 (@mrjeffu) December 15, 2023
2024年12月、那覇市が特別栄誉賞を授与!
2024年の米大リーグのワールドシリーズ制覇の後、ロバーツ氏はドジャースの監督として、そして那覇市生まれの沖縄県系2世として「那覇市特別栄誉賞」を受賞しています。12月5日の贈呈式に家族と一緒に凱旋帰国をしているようです。
Dave Roberts celebrated by a crowd in Okinawa, Japan. He was given a special honorary award by mayor of Naha. #Dodgers pic.twitter.com/uFFo8r3hKd
— 佐伯敏 Akira Saheki (@sahekiakira) December 5, 2024
以上、ロバーツ氏の生い立ちからキャリアを調べてみました。スポーツの才能だけでなく、人間性にも優れることでリーダーとして信頼されているのだと思いました。何となく親しみがあるのは、日本人というルーツにあるのでしょうか。これからもご活躍を応援させていただきます!